第1章 感銘
第2章 覚悟
第3章 衝撃的な革作品との出会い
第4章 脱サラ6年目の奈落の底
第5章 寂しさのない孤独
第6章 答え
第1章 感銘
どんな人にも多かれ少なかれ、自分の人生で「感銘を受けたもの」があると思います。
幼い頃からものづくりが好きだった私は、絵画や彫刻、建築、そして音楽、映画などあらゆる芸術を敬愛しており、
その中でも特に好きなもので、私が感銘を受けてきたものには、ある共通点があります。
それは、
この作品を生み出すことに、きっと人生を捧げてきたのだろう、
この作品を生み出すことに、きっと命をかけてきたのだろう、
そう思えるような、つくり手の気迫や強い想いを感じるものです。
どんなジャンルの芸術であれ、そういったものに出会うと、心が揺さぶられ、興奮し、時には涙し、時には励まされ、勇気や力をもらってきました。
20代の頃は深く考えず、何となくそういったものに心惹かれ、欲望のままにそういったものを楽しんでいたような気がしますが、今思えば、そういったものとの出会いを重ねてきたことは、自分の人生を豊かなものにするために、とても大切なことだったのだと感じています。
ガウディの建築を見に行ったり、デビッドボウイの楽曲を愛聴したりしていたことが。
そしていつの日か、そういったものを生み出している人に憧れ、自分もそういったものを生み出せる人間になりたいと思うようになっていました。
冒頭で述べたように、私は幼い頃からものづくりが好きだったので、将来は何かをつくる仕事をしたいと思っていました。
でもそれは何なのか?
自分の人生を捧げるに値するのは、自分の命をかけるに値するのは、何をつくる仕事なのか?
私の20代、30代は、その答えを必死で探す旅のようなものでした。
第2章 覚悟
その答えを見つけ出すためのヒントは、海外に落ちていました。
私は関東の大学で建築を学ぶかたわら、海外を旅することに目覚め、バックパックを担いでいろんな国を旅してきました。
知らない世界を知る楽しさに夢中になり、バイトしてお金貯めては海外に行くということを繰り返している中で、大きなカルチャーショックを受けました。
それは、世界には本当にやりたいことをやって生きている大人が、こんなにもたくさんいるんだということ。
そんな人たちは決まって活き活きしてるし、とても素晴らしい仕事をしているのです。
そんな人たちと出会い、同じ時間を過ごしている中で、ふと気付いたのです。
私の人生を捧げるに値するのは、命をかけるに値するのは、何をつくる仕事なのか、その答えを見つけるには、自分が本当にやりたいことを見つけなければならないのではないかと。
自分が本当にやりたいことでなければ、命をかけることなんてできないのではないかと。
それから「本当にやりたいことは何なのか」ということばかり考えるようになりました。
もちろん、それができない環境に置かれている人が世界中にはたくさんいることも知ってます。
ただ私は、やろうと思えばそれができる環境にあるのだから、やらない訳にはいかないと思ったのです。
しかし必死に探したものの、本当にやりたいことは何なのか見つからないまま、就職活動の時期を迎えてしまいました。
ひとまず大学で学んだ事を活かそうと思い、大手の建設会社に入社しました。
本当にやりたいことが見つかるまでと思って。
その会社で実務を2年経験した後、両親が建築の大学に行かせてくれたことへのけじめだと思い、猛勉強して一級建築士の免許を取得。
あとは本当にやりたいことが見つかれば、すぐにでも会社を辞めようと思っていましたが、なかなか辞める決心が付かず、あっという間に入社して5年が経っていました。
それには2つ理由があって、1つはその仕事が結構気に入っていたから。
住宅の設計をしていたのですが、設計の仕事自体とても面白く、お客さんから嬉しい感想をいただく度に、やりがいも増していきました。
そしてもう1つは、会社に勤めながら、休みの日に「本当にやりたいこと」を探し続けていたけど、見つからなかったから。
「今の仕事はやりがいもあるし、給料もいい。それを捨てて、本当にやりたいことが見つかるのか?それで食べていけるのか?そもそも、本当にやりたいことなんてあるのだろうか?」と考えるようになった自分と、
「いや、実際いろんなことをトコトンやり込んでみないと、本当にやりたいことはこれだったんだ!と思えるものに出会えないのではないか?オレはまだそこまでやれてない。それをやらずに過ごす人生なんて、悔いが残るだけじゃないのか?」と考える自分。
そんな二人の自分が、長い間格闘を繰り返してきました。
しかし二十代最後の年、「一度きりの人生、腹をくくるなら今しかない」と覚悟を決めました。
「会社を辞めて、自分が興味のある事を片っ端からやり込んでみる。
そして自分が本当にやりたいことは何なのか見つけ、それを必ず生業にする」と。
第3章 衝撃的な革作品との出会い
腹をくくったら、後はやるだけ。
自分の興味がある事、興味が湧いてきた事を、片っ端からやり込んでみる日々が始まりました。
最初は、自分好みの建築を見て周り、自分好みの空間デザインやインテリアデザインを自由に考えたり、それを自分の部屋で実験したりする日々を過ごしました。
次に、実際のクラブイベントでサイケディックなデコレーションをつくったり、ミシンを買ってきて自分好みのベルボトムをつくったり、自由に絵を描いたりする日々を過ごしました。
その後、何の制限もなく、ただ自由に造形物をつくりたくなり、ひたすら紙粘土をこねる日々が続きました。
そうやって出来上がったものを、次はシルバーでつくってみたくなり、ワックスで原型をつくり、シルバーを削り、磨く、といったことを繰り返す日々が続きました。
そして次は、そのシルバーでつくった造形物に合うレザーバッグをつくりたくなりました。
当時は今のようにインターネットの情報などなく、どのようなつくりになっているのか研究しようと思い、いろんなお店を回っている時、思いもよらない出会いがあったのです。
学生の頃から革製品は好きだったのですが、今まで見てきたものとは明らかに一線を画す、とんでもない存在感を放っている、あるクラフトマンの作品に出会ってしまったのです。
それを見た瞬間、私は心を奪われてしまい、しばらくその場から離れられなかったことを、今でもはっきりと覚えています。
そしてその時、私の中の何かに火が付き、こう思いました。
「私も革で、こういった存在感のある、力強い作品をつくってみたい」と。
そして心に決めました。
「今までいろんなことをやってきたが、革一本に絞ろう。革と徹底的に向かい合ってみよう」と。
第4章 脱サラ6年目の奈落の底
会社を辞めて3年が経った頃、本格的に革という素材を使ったものづくりを始めました。
会社勤めの頃コツコツ貯めていたお金はとっくに底をつき、その後は時給が低くても、ものづくりができる時間を確保できることを優先してアルバイトを選んでいたので、とにかくお金がない時期でした。
友人と会って飲んだり、食事をしたりすることもできない時期が長かったので、あいつは今、行方不明らしいとか、変な宗教に入ったらしいとか、いろんな噂が飛び交っていたことを、かなり後になって知りました。笑
でもその時は、自分が本当にやりたいことはこれかも知れない!と、革を使ったものづくりに夢中で、それしか頭になかったのです。
しかも独学で始めたので、それなりのクオリティのものをつくれるようになるまで、かなりの時間を要してしまったのです。
実を言うと、私が衝撃を受けたクラフトマンに弟子入りしたかったというのが本音なのですが、その方は弟子を取らない主義で、その理由を尋ねると、「私の作品は、私独自の手法で生み出したもので、その手法は常に変化している。今の私の手法を教えれば、君にも同じようなものをつくることはできるだろう。ただ私の作品は常に変化し続けるが、私に教わった手法しか知らない君の作品は、その先がない。だから自分なりの手法で作品を生み出していくべきだ」と教わりました。
その言葉がストンッと腑に落ちた私は、果てしないトライ&エラーを繰り返しながら、自分なりのやり方で、自分が納得いくものを追い求め、ひたすら手を動かし続ける日々を過ごしました。
様々なアルバイトをしてなんとか革を仕入れながら、本気で革と向かい合って3年が経った頃。
ついに、私なりの最高傑作を生み出すことができ、それをどのように販売していくのが良いか相談したくて、プロの方にその作品を見てもらいに行きました。
するとそこで、「これで食べていくのは難しいと思うよ。一級建築士の資格を持ってるなら、そっちで食べていった方がいいんじゃない?」と言われ、奈落の底に突き落とされたような気持ちになりました。
当時の私には、自分の作品には何が足りなくて、どうすればこれ以上のものを生み出せるのか、全く分からなかったのです。
そして何より、本当にやりたいことを探すと言って会社を辞めて6年も経って、お前は一体何をやっているのだと、絶縁寸前状態の両親に、ようやく自分の作品を販売し始めたよと報告できると思っていたので、そのことを考えると、目の前がどんどん真っ暗になっていったのです。
「オレには、本当にやりたいことを生業にするのは無理なのか?会社を辞めてから6年間、オレがやってきたことはなんだったんだ?」と自暴自棄になり、呑んだくれて旧友に電話してしまいました。
すると彼が、「お前が今までやってきたことは、決してムダにはならないよ」と言ってくれ、「こういう言葉があるんだよ」と教えてくれたのが、
Solitude Without Loneliness
寂しさのない孤独という言葉です。
何かを生み出したい人間には、孤独はつきもの。
それは覚悟していました。
でも孤独な時間があまりにも長く、ようやく光が差したと思ったら、いきなり目の前が真っ暗になった。
その絶望感に押し潰されそうになっていた私ですが、この言葉を聞いた瞬間、ふと思ったのです。
「こんな孤独を経験した人間にしか宿すことのできない、何かがあるのではないのか。そんな何かを宿した作品が、いつか誰かを勇気付けたり、誰かに力を与えたりするのではないか」と。
寂しさのない孤独という言葉を、勝手にそういう解釈で捉え、「もう少しもがいてみよう、そうすれば何か見えてくるかもしれない」と思うことができ、再び我武者羅に手を動かす日々が始まりました。
それから2年の月日が流れ、革を使ったものづくりを始めて5年が経った頃。
これならいけるだろうという自信があったわけではないのですが、いつまでもアルバイト生活もしていられないという思いから、作品の販売に踏み切ることにしました。
あの時からずっと大切にしてきた言葉、Solitude Without Lonelinessの頭文字を取り、SWLという屋号で。
第5章 寂しさのない孤独
作品の販売といっても、当時の私には何のツテもなく、どこでどのように販売すれば良いのか知りませんでした。
ただとにかく販売しないと何も始まらないと思い、色々調べていると、何やらハンドメイドでものづくりをしている作家さんが集まり、その作品を販売するイベントが全国各所で行われているということを知り、そういったイベントを調べて、出店し始めました。
私は当初から、他の作家さんでここまではやる人はいないだろうと思えるくらい、手間と時間をかけた作品づくりにこだわっていたので、ハンドメイドイベントの平均的な価格帯と比較すると、どうしても高価なものになってしまい、最初はなかなか売れませんでした。
それでも大量生産、薄利多売には絶対に走らないと決め、本当に自分が良いと思うのものを信じ、つくり続けました。
すると高価な作品がポツポツ売れ始め、少しずつSWLのファンになってくださる方が増えてきました。
「よし、このやり方で間違ってない」と思えるようになり、より良いものを生み出せるよう、試行錯誤を重ねながら製作に励み、全国のイベントに出店して周りました。
そうした中で、店舗は構えないアトリエのみのスタイルで、全国のお客さんとメールでやり取りしながら、オーダーメイドでレザーアイテムを製作するというスタイルを築いていきました。
そして次第に、メールやオーダー品のやり取りは何度もしているけど、お会いしたことがないというファンの方も増えてきたので、そういった方と会える機会を設けたいと思い、2012年から個展を開催し始めました。
今まで、大阪、東京、熊本、群馬で開催したのですが、たくさんの方が来てくださり、それぞれご愛用のレザーアイテムを嬉しそうに見せてくださったことが、思わず涙が溢れてしまうほど嬉しかったのです。
自分が生み出した作品を通して、こういった喜びを分かち合うことができるから、また孤独と向かい合える。
これが私なりの、寂しさのない孤独だと思っています。
そういった個展での出来事をきっかけに、SWLのファンでいてくださる方々に気軽に来ていただける場所をつくりたくなり、2018年の12月、満を持して、アトリエを併設した店舗を構えました。
そして2019年、たくさんの方に支えられ、SWL設立10周年を迎えることができました。
第6章 答え
私は長い間、自分の人生を捧げるに値するのは、自分の命をかけるに値するのは、何をつくる仕事なのか、本当にやりたいことは何なのか、ずっと探し続けてきました。
その答えは、革を使ったものづくりだったのか?と聞かれたら、、
誤解を恐れず答えると、革じゃなくても良かったのかもしれません。
使う素材は何であれ、その素材と徹底的に向き合い、自分ならではの何かを生み出すという行為は、己と徹底的に向き合うことだと思うのです。
そうやって生み出した作品を通して、社会と様々なやり取りをし、そこで得たことを持ち帰り、また己と向き合う。
そういったことを繰り返していく中で、私は多くのことを学んできました。
そして、そういったことを繰り返していくうちに、自分の人生が少しづつ豊かなものになってきたと感じています。
つまり、私が本当にやりたかったのは、「そういった行為」なのではないかと思っています。
とは言っても、やはり私は革という素材に惹かれます。
私が自分の人生で感銘を受けてきた、
この作品を生み出すことに、きっと人生を捧げてきたのだろう、
この作品を生み出すことに、きっと命をかけてきたのだろう、
そう思えるような、作り手の気迫や強い想いを感じるもの。
そういったものを、革という素材を使って生み出したい。
そんな想いを胸に、これからも手を動かし続けていきたいと思っています。
私の生み出したものが、誰かの人生を豊かにできることを夢見て。